スランプを克服する考え方(反省除去)-フランクル心理学004-

フランクル心理学 スランプを克服する考え方《反省除去》

反省除去(dereflexion)とは

フランクル心理学における心理療法の技法には、「逆説志向」(paradoxical intention)と「反省除去」(dereflexion)があります。この2つは、フランクル心理学の2大技法と呼べるものです。

「逆説志向」と「反省除去」は、まったく別ものではなく、その根幹にある考え方はリンクしています。「逆説志向」については、「緊張や不安を軽くする方法(逆説志向)」に詳しく書きましたので、参考になさってください。

このページでは、「反省除去」について書いていきます。では、まず「反省除去」を簡単に定義づけしましょう。

反省除去
「反省除去」とは、自分を過剰に意識することによって生じている不都合な症状を、その過剰な意識を除去することによって、不都合な症状をとり去ろうとする心理療法です。

「反省除去」は「脱反省」とも訳されます。「反省」とは、「自分のこと」「自分のした行い」を繰り返しよく考えることですね。反省をする時、意識は自分に向けられています。「除去」にしろ、「脱」にしろ、この自分に向ける意識をやめることが「反省除去」のポイントになります。

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まっつん

例えば、気が散って仕事や勉強に集中できない状況を考えてみましょう。「集中できない、集中できない」とイライラしている時、自分の意識はどこへ向かっているのでしょうか?

そうですね。自分の意識は、「集中できない自分」に向かっています。「集中できなていない自分」に意識が集中してしまっているとも言えます。

自分に意識を向け過ぎてしまうことを、「過度の自己反省」「過度の自己観察」といいます。過度に自分を観察している限り、集中することはできないのです。

理想の状態は、仕事や勉強に集中できることです。この時、「自分の意識」のベクトルはどこに集中しているのでしょうか。当然のことですが、「仕事や勉強に」ですね。

では、仕事や勉強に集中できている時に、『私』という意識はどうなっているのでしょうか。ご想像のとおりで、ものすごい集中できている時には、『私』という意識は消えているのです。

『仕事や勉強に「私という意識」が没している』、または、『私と仕事や勉強とが一体になっている』なんて表現もありですね。

好きな趣味に没頭して、ふっと時計をみたら、1時間があっという間に過ぎていた。気づいたら窓の外が暗くなり夜になっていた。そんな経験をしたことのある人もいるでしょう。

超集中ともいえる状態の時には、「私」という感覚は消えていて、自分が何かを意図的に行っているという意識すら消えることがあります。

昨今、マインドフルネス瞑想が流行しています。どんな瞑想法でも、瞑想を定期的に行って熟達していくと、「私が消える時間」を味わうことができます。

こうした意識状態を日本では、「没我」と表現することがありますね。「没」は、「なくなること」です。「我」、つまり、「私」が消えてなくなることが、集中できている状態です。

自分にベクトルを向けず、自分のことを考えていない「脱反省」している時が「理想の意識」だと想定して、その「理想の意識」を実現できるように導くのが「反省除去」という心理療法です。


反省除去の事例

「あいつ最近、意識過剰だよな」。遠い昔、私が中学高校の頃(1980年代)には、そんな言葉を使って、クラスの誰かを批判した記憶があります。今では言わないでしょうね。

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まっつん

ここでの「意識過剰」は、「自意識過剰」から転じた言葉でしょう。まわりからどう見られるいるかをいつも気にしていて、ちょっとプライドが高くなっている、高飛車な感じのクラスメイトを指して「意識過剰だよな」と言っていました。

「あいつ、最近、意識過剰だよな」と言われてしまう人は、「過度の自己反省」「過度の自己観察」の状態になっているから、悪口の対象になるネガティブな現実を作り出してしまっています。

むかでの逸話

「過度の自己反省」「過度の自己観察」について、フランクルは「むかでの逸話」を、よく引き合いに出します。私のほうでちょっとアレンジして「むかでの逸話」を創作してみます。

ある森にムカデが住んでいました。ムカデは100本の足を上手に使って、とても踊りが上手でした。ムカデが踊り出すと森に住む生き物たちは集まってきて、拍手をおくりました。
ムカデは森の人気者でした。
ある日、意地悪カエルがやってきてムカデに言いました。
「ムカデさんは、踊りが上手だね。100本の足の33番目と88番目はどうやって動かしているの?ちょっと踊ってみて」
「えっ?」
ムカデは33番目と88番目の足に意識を向けて踊ろうとしました。
すると、ムカデの踊りはとてもぎこちなくなり、いつものような自然で優雅な踊りができなくなってしまいました。
ムカデは困り果て、森の奥へと消えてゆきました。

それまでムカデは、自分がどう踊っているかなど考えたことがなく、「あるがまま」、自然体で踊ることができていました。それを意地悪カエルに邪魔されたわけです。

カエルは、「どうやって動かしているのか?」と聞くことで、ムカデが「過度の自己観察」に陥(おちい)るように仕向けたのです。ムカデは、自分に意識を向け過ぎることによって、本来もっていた力を発揮することができなくなってしまいました。

ですのでフランクルは、自分について考え過ぎることをやめて、自分のすべきことに没頭すること、我を忘れてやるべきことに集中することが大事だ、と言ったのです。

では、ここから具体的に「反省除去」の事例を見ていきましょう。

スランプを克服したバイオリニスト

フランクルは、あるバイオリニストのことを「反省除去」の事例として、よく本に書いています。

そのバイオリニストは、とにかくできるかぎり意識的に演奏をしようと努力をし続けてきました。バイオリンをどの位置にどう置くかから始まり、とても細かいことまで意識して作り上げようとしていました。どこが悪くて、どこがよかったを常に反省し、意識のベクトルを自分に向け続けていました。

その結果、このバイオリニストは、ひどいスランプに陥ってしまったのです。

バイオリニストのイメージ画像
バイオリニスト イメージ

フランクルは、このバイオリニストに対して「反省除去」を説明し、あまりにも意識的に何かをしようとしている点を改めるように諭しました。過度の自己観察を戒め、「自分がする」という意識を捨て去り、もっと「無意識」を信頼するように求めたのです。

その結果、バイオリニストは、本来の創造性を発揮できるようになり、スランプから抜け出すことができたのです。

芸術家としては、ある画家にも同じような事例があります。その画家も意識的に作品をつくろうとして挫折しかけたのですが、フランクルから「反省除去」のアドバイスを受けて、意識的に作品をつくろうとすることをやめた途端に、アイディアが次から次へと湧き出て、一気に絵が描けるようになったといいます。

そこでフランクルは、こんなことを言っています。

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フランクル

過度の自己観察、──まるでひとりでに行なわれるかのように無意識の深みの底でなされねばならぬはずの仕事を意識して「行なおう」とする意志、──それが創造的な芸術家にとって一種のハンディキャップになることは稀ではない。そこでは不必要な反省はすべて有害なものでしかありえないのである

『識られざる神』(V・E・フランクル[著]、佐野利勝 木村敏[訳] みすず書房)p40

自分のことを考えてばかりいる「過度の自己観察」によって、我欲(エゴ)が生まれ、その我欲(エゴ)が有害なものとなって、本来の力が発揮できなくなる。これは、芸術家だけでなく、武道家やアスリートたちにも当てはまることです。

ですので、空手、剣道、柔道など日本古来の武道では「無我」の重要性を強調するわけですね。

アンナ(芸術アカデミー 学生)の面接事例

次の事例は、ウィーン芸術アカデミーの女子学生のものです。彼女は、当時「分裂病」(現在、統合失調症)と呼ばれていた症状に苦しみ、フランクルのもとを訪れました。

この事例は、『意味への意志―ロゴセラピイの基礎と適用 』(翻訳:大沢博 ブレーン出版)に掲載されているものです。この面接記録を読むと、「反省除去」についてより深く理解できますので、引用いたします。

アンナ (女子学生)

私を当惑させているのは、私の内部で起こっているのは何のかということなんです。

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フランクル

考え込まないことです。あなたの根源を探ろうとしないことです。それは私たち医者にまかせればいいのです。私たちは、あなたがその危機を通り抜けられるように導きます。あなたを待っている目標はありませんか。たとえば、芸術の仕事など。あなたの中で発酵している多くのものーまだ形にならない芸術作品、創造を待っている未完成の絵など、あなたによって生かされるのを待ってるものが何かありませんか。そういったことを考えてください。

アンナ (女子学生)

でも、内部の混乱が……

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フランクル

あなたの内部の混乱を見つめないで、あなたを待っているものに目を向けてください。大切なのは、心の中に潜んでいるものではなく、未来であなたを待っているもの、あなたによって表現されるのを待っているものなのです。

精神的な危機があなたを悩ませているのはわかっています。でもその悩みの波は私たちに静めさせてください。それは私たち医者の仕事です。精神科医にまかせてください。

とにかく自分自身に目を向けないでください。あなたの内側でおこっていることを見つめないで、あなたになされるのを待っていることを探してください。だから症状のことを話し合うのはやめましょう。不安神経症とか強迫神経症とか。

それがどんなものでも、あなたがアンナであるという事実、何かがアンナを待っているという事実を考えましょう。あなた自身について考えないで、あなたが創造しなければならない作品、まだ生まれていない作品に目を向けてください。

あなたがどんな人であるかは、あなたがその作品を創ることではじめてわかることなのです。

いかがでしょうか。この面接記録にあるフランクルの言葉からは、自分に目を向け過ぎない「反省除去」のことだけなく、未来から今を考えるロゴセラピーの本質をも読み取ることができます。

「あなたによって生かされるのを待ってるものが何かありませんか」
「大切なのは、心の中に潜んでいるものではなく、未来であなたを待っているもの、あなたによって表現されるのを待っているものなのです」
「何かがアンナを待っているという事実を考えましょう」

これらの言葉からもわかる通り、自分にベクトルを向けて「自分のこと」「自分の病のこと」「病の症状のこと」を考えるのではなく、「未来のこと」「未来で待っている何か」について意識を向け、それについて考えるように、フランクルはしつこいくらいに繰り返します。

フランクルは、未来から今を考えることで、過度の自己観察によって苦しんでいる「私」を解放しようとしているのです。「無意識の力」をもっと信頼し、それに委(ゆだ)ねることで、その人の本来を持っている創造性を発揮させようとしているとも言えます。

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フランクル

われわれが自分の不安から自由になれるのは、自己観察やまして自己反省によってではなく、また自分の不安を思いめぐらすことによってでもなく、自己放棄によって、自己を引き渡すことによって、そしてそれだけの価値ある事物へ自己をゆだねることによってである

『神経症1(V・E・フランクル[著] みすず書房)p176

これこそ「ロゴセラピー」の本質ですね。


自己を超えてゆけ。

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「反省除去」が、苦しみの原因となっている「過剰な自己反省」「過剰な自己観察」にストップかけることであれば、自己にとらわれない心理状態を実現することが、「反省除去」の目指すゴールになります。

フランクル心理学の2大技法の「逆説志向」が、自分の苦しんでいる症状をあえて望むことで、自分を笑い飛ばそうとするのならば、それもまた「自己にとらわれない」意識をつくりだそうとすることであり、「反省除去」と共通しています。

日本では自己に執着しないことを「無我の境地」といいますね。フランクル心理学には、「無我の境地」の意味を含む言葉として、次のものがあります。

自己超越(self-transcendence)

この「自己超越」は、フランクル心理学「ロゴセラピー」にとって、とても重要な核となる考え方です。フランクルはこう述べています。

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フランクル

自己超越とは、人間が、自分を無視し忘れること、自分を顧みないことによって、完全に自分自身であり完全に人間であることです。なんらかの仕事に専心することや、なんらかの意味を実現することによって、あるいは、ある一つの使命またはある一人の人間、つまり伴侶に献身するこによって、人間は、完全に自分自身になります。

『宿命を超えて、自己を超えて』(V・E・フランクル[著]、山田邦男[訳] 春秋社)p106-107

ここでの「自分を顧みない」が、「反省除去」に通じています。つまり、「反省除去」をすることで、人は「自己超越」していくことになるのです。

自己を中心とした欲求によって描かれる成功(お金持ちになりたい、組織で高いポストにつきたい、起業して成功したい、人から尊敬される成功者になりたい)を追い求めるのではなく、自分を忘れ去る「自己超越」を心がけ、目の前にある「すべき事」に没頭するような生き方をフランクルは、すすめています。

自分にこだわることをやめて、自分を越えた存在、つまり、他人や仕事や社会や自然と関わり、それらから求められる事に没頭している時、無意識の大いなる力が働き、その人に潜在している真の人間性が発揮され、よりよい心理状態が実現されるのです。

その結果として、自分の望んでいる成功が(芸術家にとっては創造性豊かな作品が、スポーツ選手にとっては勝利が、ビジネスマンにとっては高い成果が、人間にとっては幸福が)実現されてくるのです。

「自己超越」というコンセプトは、芸術家だけでなく、創造性を発揮することを求められる全ての人にとって、スランプ克服の基本的な考え方になります。

そして、「自己超越」していくことができれば、人は「生きる意味」を満たすことができ、より充実感をもって生きていくことができるのです。

フランクルの「反省除去」という技法の根底には、こうした深い思想があり、それがあるからこそ、より多くの「生きることに苦しむ人々」を世界規模で救い続けることができたのです。

自分を忘れ去れ。フランクルの言葉に耳を傾け続けたいものです。

(文:まっつん)

注意
「反省除去」は万能の心理療法ではありません。精神科やメンタルクリニックに通院されている方は、必ず主治医のご判断に従ってください。

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フランクル

ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl 1905〜1997)ロゴセラピーの創始者。オーストリア出身の精神科医、心理学者。世界三大心理学者(フロイト、ユング、アドラー)につぐ「第4の巨頭」。第2次世界大戦中のナチス強制収容所から生還する。その体験を記した『夜と霧』は世界的ベストラーとなる。「生きる意味」を探求するロゴセラピーという独自の心理学を確立し、世界に大きな影響を与えた。享年92歳。著書:『夜と霧』(みすず書房)『それでも人生にイエスと言う』(春秋社)『意味による癒し』(春秋社)ほか。


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フランクルの画像 ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl) 参考 フランクルの「生いたち」から、その人生心理カウンセラーまっつん(松山淳) 参考 『君が生きる意味』(ダイヤモンド社)紹介ページ心理カウンセラーまっつん(松山淳)