幸せになろうとしなくていい-フランクル心理学002-

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幸福のパラドクス

私たちは幸せになるために生まれてきました。幸せになることを、願いながら、現実を生きています。心が健康であれば、「不幸になりたい」なんて、思っている人は、まずいないですね。

「社員を幸福する」「顧客の幸せを創造する」。会社の経営理念でも、「幸せ」「幸福」を軸した言葉をよくみかけるようになりました。「幸せ」がどのような状態であるかを具体的にイメージしてあれば(企業であればそれをビジョンといいますね)、それは目標であり達成すべき課題となります。

でも、個人レベルで「幸せ」を考える時には、「目標だ」「課題だ」なんて、なんだか、そぐわない感じがします。

あなたにとって、「あ〜幸せだな〜」と幸せを感じる瞬間は、どんな時でしょうか。

大好きな人とデートをして、手をつないで街を歩いている時。大型の契約を成立させて、仲間と居酒屋で祝杯をあげる時のカラカラに乾いた喉に流し込む一杯目のビール。夜遅く家に帰って、スヤスヤ眠る子どもの寝顔を見た時。

子どもの寝顔イメージ写真

そんな時、人は「幸せ」を感じて、満ち足りた気分になります。もちろん、もっともっといろいろな「幸せのかたち」があり、何に幸せを感じるのかは、人それぞれですね。

でも、共通しているのは、「幸せ」を感じるのは、何か「理由」があることです。「理由」があって、その結果として「幸せだな〜」という「幸福感」がもたらされます。

「幸福」には理由がある。

先ほどの例でいえば、恋人がいること、仕事をがんばり契約に結びつけたこと、家族をつくり子どもがいること、それが幸せの「理由」です。

つまり幸せは、理由があって、その結果として「もたらされるもの」「感じるもの」であり、幸せをそのものは「目標」にならないということです。

心理学者フランクルは、こう言っています。

フランクル
フランクル

人間が欲しているのは、幸福になる理由です。理由がありさえするなら、幸福は向こうからやってきます。ところが、幸福になる理由を求めずに、幸福そのものを求めるなら、幸福になれません。幸福は遠ざかっていきます。

『宿命を超えて、自己を超えて』(V・E・フランクル[著]、山田邦男[訳] 春秋社)p33

フランクルは、「幸せになりたい」と願うことを否定しているわけではありません。「幸福を求めること」は、人にそなわる当然の感情であり、とても尊いものです。

ただ、フランクルがそう言うのは、患者の中に、「幸せになりたい」と思っていながら、「幸せになる理由」を現実的つくり出す努力から逃げようとする人が、とても多かったからです。そして、その人たちが、実際に、幸せから遠ざかっていたからです。

Aさん
Aさん

「恋人は面倒なのでいらない」。けれど、幸せになりたい。

Bさん
Bさん

「仕事は嫌なことばかりなので、やりたくない」。でも、幸せになりたい。

Cさん
Cさん

「結婚して子どもをつくるとお金がかかるので、家族はいらない」。それでも、幸せになりたい。

まっつん
まっつん

これでは「幸せになる理由」が生まれないので、「幸せ」は、遠ざかっていきますよね。宝くじを買わないのに、「宝くじで3億円が当たれ」と、願うようなものです。

幸福そのものを目標として追い求めた結果、幸福が逃げていく。

これを「幸福のパラドクス」といいます。