むなしさへの対処法-フランクル心理学001-

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むなしさ。

日中、仕事や家事に追われて忙しくしていると、時間があっというまに過ぎていきます。そして1日が終わり、さあ寝ようとする時に、すぐに寝られることもあれば、「かわりばえのない毎日が、この先もずっと続くのか」と、ふっと「むなしさ」が心にすべりこんでくることもあります。

生きていることに手ごたえがない、というか、「生きる意味」が感じられない、というか、寂しいというか、何かが欠けているというか、なかなか言葉にできない感覚。それが「むなしさ」です。「空虚感」ともいいます。

普通であれば、ため息ひとつこぼして、「そんなこと考えても仕方ない、さあ、明日も早いんだ、寝よう寝よう」と、自分に言いきかせ、眠りの世界へ入っていくことができます。

人生のつまづき石となる「むなしさ」

でも、「むなしさ」にとらわれてしまうと、ため息が何度もこぼれ、あれこれ考えてしまい、なかなか寝つけなくなります。寝られないと、「なんで、寝られないんだ」と、寝られないこと自体が、自分を責める否定的な感情と結びついて、さらに「むなしさ」を強めてしまいます。これでは悪循環です。不眠の原因は、もちろん様々ですが、「むなしさ」もそのひとつです。

精神的に健康な時には、「むなしさ」は一瞬で終わるものです。「だから何なの」と軽々しく扱えます。でも、とらわれてしまうと、時に、人生に致命傷を与える重大なつまづき石となります。

ロゴセラピーの創始者である心理学者フランクルは、この「むなしさ」と正面から向き合った人であり、心理療法家として「生きる意味の喪失感」に苦しむ人々を救い続けたセラピストです。

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ロゴセラピーの創始者V・E・フランクル

フランクルは、ある大学生から、こんな手紙を受け取りました。

「私はここアメリカにおいて、自分の現存在の意味を絶望的に探し求めている私と同年輩の若い人たちにぐるりと周りを取りかこまれています。私の最上の友人のひとりは、まさにそのような意味を見出すことができなかったために、つい先頃亡くなりました」

『生きがい喪失の悩み』ヴィクトール・フランクル[著]、中村友太郎 [訳] 講談社)p14

「亡くなりました」とは、恐らく「自殺」だったのでしょう。「生きていても意味がない」。深刻な「むなしさ」は、人を死に追いやることすらあるのです。人によって、それほどまでに「生きる意味」は痛切に必要なものとなります。

むなしさの2つのタイプ。

「生きる意味」の欠落感からくる「むなさしさ」をフランクルは、こう名付けました。

「実存的空虚」(existential vacuum)

(「実存的欲求不満:existential frustration」という言葉も使っています)

「実存的空虚」には「急性型」と「慢性型」の2つのタイプがあります。

実存的空虚

  1. 急性型(原因を理解できる)
  2.  失恋、親しい人との死別、リストラ、会社の倒産、自然災害で家を失うなど、突如として訪れる悲劇による「空虚感」。「むなしさ」の「原因」は自分でわかります。

  3. 慢性型(原因を理解できない)
  4.  日常生活の中で、強く感じられる持続性の高い「空虚感」。「むなしさ」の原因が自分でもよくわからない。

「急性型」も「慢性型」も、もちろん、どちらも辛いものです。2つの違いは、原因が「わかっているか」「わかっていないか」です。「慢性型」は、「なぜ、むなしさをこうも感じるのか」、その理由が、自分でもよくわからないから、やっかいです。

家があり、仕事があり、食べていけています。日々の生活に不満が無いといったら嘘になるけれど、「では、不幸なのですか」と問われたら、「そんなことはない」と答えられます。そう答えた瞬間に、どこか違和感があります。心の底で疼(うず)いている慢性型の「空虚感」が、足を引っ張っているのです。でも、その「空虚感」が、なぜ存在しているのかが、わかりません。

むなしさで苦しむ男性のイメージ写真

「むなしさ」が生まれる理由。

原因不明の「むなしさ」は、なぜ、生まれてくるのでしょうか?

フランクルは、この答えになる考えとして次のコンセプトを提唱しました。

「意味への意志」(will to meaning)

「意味への意志」とは、「生きる意味」を求める心の動きのことです。「意味への意志」について、こう書いています。

フランクル
フランクル

「人間が意味を求めることは人間の生命の内にある根源的な力であって、決して本能的衝動の「二次合理化」などではありません。この意味は各人にとって唯一かつ独自なものであり、まさにその人によって充たされねばならず、またその人だけが充たすことのできるものなのです。」

『意味による癒し』(ヴィクトール・フランクル[著]、山田邦男 [監訳] 春秋社)p5-6

ここでポイントとなるのは、フランクルが「意味を求める」ことが人間の「根源的な力」だと言っている点です。「根源」を別の言葉で表現すると「おおもと」です。フランクルは、人間の「おおもとの力」として「意味への意志」があると言っています。

すると、学生の手紙に書かれたことも理解できます。「生きる意味」が人間の「おおもとの力」であれば、それを見出せないことによって「生きる力」が失せて、自ら命をたってしまったということです。

この「おおもと」を、長い人生を通して常に100%充たし続けることは、誰にだって難しいことです。ですので「むなしさ」は、どんな人にも、いつ生まれてもおかしくないと言えます。

「おおもと」を植物の根っこだとしたら、水が足りずに根が枯れたり、逆に水をあげ過ぎて根腐れを起こしたりすることもあります。

裕福な家庭環境で育ち、高学歴で、仕事も成功し社会的ステータスを確立して、家族にも友人たちにも恵まれている。それなのに、心にぽっかり穴が空いて、自分の人生がむなしくて仕方がない。「生きる意味」を感じらられず何年にもわたって苦悩し続けている。

そんな人が実際にいるのです。

むなしさのイメージ画像

そうした事実からもフランクルは、いかに「意味への意志」が人間にとって根源的に重要かを説き続けたわけです。

では、「むなしさ」に苦しむ人たちを救ったフランクルの「ロゴセラピー」とはどのようなものだったのでしょうか。次に「ロゴセラピー」について書いていきます。