フランクル心理学における心理療法の技法には、「逆説志向」(paradoxical intention)と「反省除去」(dereflexion)があります。この2つは、フランクル心理学の2大技法と呼べるものです。
「逆説志向」と「反省除去」は、まったく別ものではなく、その根幹にある考え方はリンクしています。「逆説志向」については、「緊張や不安を軽くする方法(逆説志向)」に詳しく書きましたので、参考になさってください。
このページでは、「反省除去」について書いていきます。では、まず「反省除去」を簡単に定義づけしましょう。
「反省除去」は「脱反省」とも訳されます。「反省」とは、「自分のこと」「自分のした行い」を繰り返しよく考えることですね。反省をする時、意識は自分に向けられています。「除去」にしろ、「脱」にしろ、この自分に向ける意識をやめることが「反省除去」のポイントになります。

例えば、気が散って仕事や勉強に集中できない状況を考えてみましょう。「集中できない、集中できない」とイライラしている時、自分の意識はどこへ向かっているのでしょうか?
そうですね。自分の意識は、「集中できない自分」に向かっています。「集中できなていない自分」に意識が集中してしまっているとも言えます。
自分に意識を向け過ぎてしまうことを、「過度の自己反省」「過度の自己観察」といいます。過度に自分を観察している限り、集中することはできないのです。
理想の状態は、仕事や勉強に集中できることです。この時、「自分の意識」のベクトルはどこに集中しているのでしょうか。当然のことですが、「仕事や勉強に」ですね。
では、仕事や勉強に集中できている時に、『私』という意識はどうなっているのでしょうか。ご想像のとおりで、ものすごい集中できている時には、『私』という意識は消えているのです。

『仕事や勉強に「私という意識」が没している』、または、『私と仕事や勉強とが一体になっている』なんて表現もありですね。
好きな趣味に没頭して、ふっと時計をみたら、1時間があっという間に過ぎていた。気づいたら窓の外が暗くなり夜になっていた。そんな経験をしたことのある人もいるでしょう。
超集中ともいえる状態の時には、「私」という感覚は消えていて、自分が何かを意図的に行っているという意識すら消えることがあります。
昨今、マインドフルネス瞑想が流行しています。どんな瞑想法でも、瞑想を定期的に行って熟達していくと、「私が消える時間」を味わうことができます。

こうした意識状態を日本では、「没我」と表現することがありますね。「没」は、「なくなること」です。「我」、つまり、「私」が消えてなくなることが、集中できている状態です。
自分にベクトルを向けず、自分のことを考えていない「脱反省」している時が「理想の意識」だと想定して、その「理想の意識」を実現できるように導くのが「反省除去」という心理療法です。