スランプを克服する考え方(反省除去)-フランクル心理学004-

フランクル心理学 スランプを克服する考え方《反省除去》

反省除去の事例

「あいつ最近、意識過剰だよな」。遠い昔、私が中学高校の頃(1980年代)には、そんな言葉を使って、クラスの誰かを批判した記憶があります。今では言わないでしょうね。

まっつん
まっつん

ここでの「意識過剰」は、「自意識過剰」から転じた言葉でしょう。まわりからどう見られるいるかをいつも気にしていて、ちょっとプライドが高くなっている、高飛車な感じのクラスメイトを指して「意識過剰だよな」と言っていました。

「あいつ、最近、意識過剰だよな」と言われてしまう人は、「過度の自己反省」「過度の自己観察」の状態になっているから、悪口の対象になるネガティブな現実を作り出してしまっています。

むかでの逸話

「過度の自己反省」「過度の自己観察」について、フランクルは「むかでの逸話」を、よく引き合いに出します。私のほうでちょっとアレンジして「むかでの逸話」を創作してみます。

ある森にムカデが住んでいました。ムカデは100本の足を上手に使って、とても踊りが上手でした。ムカデが踊り出すと森に住む生き物たちは集まってきて、拍手をおくりました。
ムカデは森の人気者でした。
ある日、意地悪カエルがやってきてムカデに言いました。
「ムカデさんは、踊りが上手だね。100本の足の33番目と88番目はどうやって動かしているの?ちょっと踊ってみて」
「えっ?」
ムカデは33番目と88番目の足に意識を向けて踊ろうとしました。
すると、ムカデの踊りはとてもぎこちなくなり、いつものような自然で優雅な踊りができなくなってしまいました。
ムカデは困り果て、森の奥へと消えてゆきました。

それまでムカデは、自分がどう踊っているかなど考えたことがなく、「あるがまま」、自然体で踊ることができていました。それを意地悪カエルに邪魔されたわけです。

カエルは、「どうやって動かしているのか?」と聞くことで、ムカデが「過度の自己観察」に陥(おちい)るように仕向けたのです。ムカデは、自分に意識を向け過ぎることによって、本来もっていた力を発揮することができなくなってしまいました。

ですのでフランクルは、自分について考え過ぎることをやめて、自分のすべきことに没頭すること、我を忘れてやるべきことに集中することが大事だ、と言ったのです。

では、ここから具体的に「反省除去」の事例を見ていきましょう。

スランプを克服したバイオリニスト

フランクルは、あるバイオリニストのことを「反省除去」の事例として、よく本に書いています。

そのバイオリニストは、とにかくできるかぎり意識的に演奏をしようと努力をし続けてきました。バイオリンをどの位置にどう置くかから始まり、とても細かいことまで意識して作り上げようとしていました。どこが悪くて、どこがよかったを常に反省し、意識のベクトルを自分に向け続けていました。

その結果、このバイオリニストは、ひどいスランプに陥ってしまったのです。

バイオリニストのイメージ画像
バイオリニスト イメージ

フランクルは、このバイオリニストに対して「反省除去」を説明し、あまりにも意識的に何かをしようとしている点を改めるように諭しました。過度の自己観察を戒め、「自分がする」という意識を捨て去り、もっと「無意識」を信頼するように求めたのです。

その結果、バイオリニストは、本来の創造性を発揮できるようになり、スランプから抜け出すことができたのです。

芸術家としては、ある画家にも同じような事例があります。その画家も意識的に作品をつくろうとして挫折しかけたのですが、フランクルから「反省除去」のアドバイスを受けて、意識的に作品をつくろうとすることをやめた途端に、アイディアが次から次へと湧き出て、一気に絵が描けるようになったといいます。

そこでフランクルは、こんなことを言っています。

フランクル
フランクル

過度の自己観察、──まるでひとりでに行なわれるかのように無意識の深みの底でなされねばならぬはずの仕事を意識して「行なおう」とする意志、──それが創造的な芸術家にとって一種のハンディキャップになることは稀ではない。そこでは不必要な反省はすべて有害なものでしかありえないのである

『識られざる神』(V・E・フランクル[著]、佐野利勝 木村敏[訳] みすず書房)p40

自分のことを考えてばかりいる「過度の自己観察」によって、我欲(エゴ)が生まれ、その我欲(エゴ)が有害なものとなって、本来の力が発揮できなくなる。これは、芸術家だけでなく、武道家やアスリートたちにも当てはまることです。

ですので、空手、剣道、柔道など日本古来の武道では「無我」の重要性を強調するわけですね。

アンナ(芸術アカデミー 学生)の面接事例

次の事例は、ウィーン芸術アカデミーの女子学生のものです。彼女は、当時「分裂病」(現在、統合失調症)と呼ばれていた症状に苦しみ、フランクルのもとを訪れました。

この事例は、『意味への意志―ロゴセラピイの基礎と適用 』(翻訳:大沢博 ブレーン出版)に掲載されているものです。この面接記録を読むと、「反省除去」についてより深く理解できますので、引用いたします。

アンナ
(女子学生)
アンナ (女子学生)

私を当惑させているのは、私の内部で起こっているのは何のかということなんです。

フランクル
フランクル

考え込まないことです。あなたの根源を探ろうとしないことです。それは私たち医者にまかせればいいのです。私たちは、あなたがその危機を通り抜けられるように導きます。あなたを待っている目標はありませんか。たとえば、芸術の仕事など。あなたの中で発酵している多くのものーまだ形にならない芸術作品、創造を待っている未完成の絵など、あなたによって生かされるのを待ってるものが何かありませんか。そういったことを考えてください。

アンナ
(女子学生)
アンナ (女子学生)

でも、内部の混乱が……

フランクル
フランクル

あなたの内部の混乱を見つめないで、あなたを待っているものに目を向けてください。大切なのは、心の中に潜んでいるものではなく、未来であなたを待っているもの、あなたによって表現されるのを待っているものなのです。

精神的な危機があなたを悩ませているのはわかっています。でもその悩みの波は私たちに静めさせてください。それは私たち医者の仕事です。精神科医にまかせてください。

とにかく自分自身に目を向けないでください。あなたの内側でおこっていることを見つめないで、あなたになされるのを待っていることを探してください。だから症状のことを話し合うのはやめましょう。不安神経症とか強迫神経症とか。

それがどんなものでも、あなたがアンナであるという事実、何かがアンナを待っているという事実を考えましょう。あなた自身について考えないで、あなたが創造しなければならない作品、まだ生まれていない作品に目を向けてください。

あなたがどんな人であるかは、あなたがその作品を創ることではじめてわかることなのです。

いかがでしょうか。この面接記録にあるフランクルの言葉からは、自分に目を向け過ぎない「反省除去」のことだけなく、未来から今を考えるロゴセラピーの本質をも読み取ることができます。

「あなたによって生かされるのを待ってるものが何かありませんか」
「大切なのは、心の中に潜んでいるものではなく、未来であなたを待っているもの、あなたによって表現されるのを待っているものなのです」
「何かがアンナを待っているという事実を考えましょう」

これらの言葉からもわかる通り、自分にベクトルを向けて「自分のこと」「自分の病のこと」「病の症状のこと」を考えるのではなく、「未来のこと」「未来で待っている何か」について意識を向け、それについて考えるように、フランクルはしつこいくらいに繰り返します。

フランクルは、未来から今を考えることで、過度の自己観察によって苦しんでいる「私」を解放しようとしているのです。「無意識の力」をもっと信頼し、それに委(ゆだ)ねることで、その人の本来を持っている創造性を発揮させようとしているとも言えます。

フランクル
フランクル

われわれが自分の不安から自由になれるのは、自己観察やまして自己反省によってではなく、また自分の不安を思いめぐらすことによってでもなく、自己放棄によって、自己を引き渡すことによって、そしてそれだけの価値ある事物へ自己をゆだねることによってである

『神経症1(V・E・フランクル[著] みすず書房)p176

これこそ「ロゴセラピー」の本質ですね。