カール・ロジャーズ(Carl Rogers)【後編】

カール・ロジャーズ【後編】

ロジャーズ
ロジャーズ

カール・ロジャーズ(Carl Rogers)。米国の臨床心理家。1902年、米国イリノイ州にに生まれる。ユニオン神学校に進学し、牧師を目指すが断念。コロンビア大学で心理学を学び、、ロチェスター児童虐待防止協会で臨床経験を積む。 オハイオ州立大学で5年間、シカゴ大学で12年間、ウィスコンシン大学で4年間、学生を指導しながら研究を重ねる。マズローにならぶ人間性心理学の生みの親。来談者中心療法(Person-Centered Therapy)の提唱者であり、エンカウンターグループの第一人者。アメリカ心理学会会長(1946)。

著書:『人間尊重の心理学』(監訳 畠瀬創直子 創元社)、『ロジャーズ選集―カウンセラーなら一度は読んでおきたい厳選33論文〈上・下〉』(誠信書房)

まえがき

ロジャーズ【前編】 カール・ロジャーズ(Carl Rogers)【前編】

 カール・ロジャーズの【後編】をお届けします。

 【前編】では、ロジャーズが生まれた育った家庭のことや、学生時代のこと、心理学との出会い、そして「来談者中心療法」へと傾倒していく「決定的な学習体験」について時系列で書いていきました。

 【後編】では、それ以降のこと、「来談者中心療法の誕生」「エンカウンター・グループ」、晩年の「トランスパーソナル心理学」のことなどについて書いていこうと思います。


ロジャーズの処女作。

 【前編】で書きました「来談者中心療法」にまつわるロジャーズの「決定的学習体験」が、1937年か1938年のことでした。

またも精神科医との闘い。

 その後、1939年に、ロジャーズが勤めていたロチェスター児童虐待防止協会の一部門「児童研究部」が、「ロチェスター児童相談所」として独立することになります。研究部の部長を10年近く務めていましたので、ロジャーズが所長になりました。ですが、所長になるにあたって、事件が起きました。

 ロジャーズの所長就任に対して、地域の精神科医たちが反対したのです。メンタルヘルス施設の責任者は精神科医がなるべきであって、ロジャーズは心理学者だからダメだというのです。差別というのか偏見というのか、難しい問題です。

 でも、これまた「開拓者精神」か、ここ一番での勝負強さで、ロジャーズは1年にわたる話し合いを乗り越えて、無事に所長に就任するのです。

ロジャーズの処女作『問題児の治療』。

『問題児の治療』(岩崎学術出版社 )

 同じく1939年にロジャーズの処女作『問題児の治療』が世に出ます。この本の中でロジャーズはすでに、カウンセラーに求められる、「共感」(共感的理解)、「受容」(無条件の尊重)、「一致」(自己一致)に近いことを述べています。『カール・ロジャーズ入門』(諸富祥彦 コスモスライブラリー)から引用します。

  1. 客観性。適度な同情の力や、純粋で受容的な関心を注ぐ態度など。
  2. 個の尊重。独立へ向かう個としての子ども自身に責任を委ねる。
  3. 自己理解。セラピストが自分の情緒的なパターンや限界を理解しておくこと。
  4. 心理学的な知識。人間の行動やその決定因についての理解。

 上の文をよく読むと、1)が「共感」、2)が「受容」、3)が「一致」について述べていることがわかりますね。

 ロジャーズは、自身の臨床体験に加えて、知的には、他の学者たちからの知識を融合していきながら、クライエントを中心に考える「来談者中心療法」を提唱するようになります。

オットー・ランクからの影響。

 特に、『出産外傷説』で著名なオットー・ランクとその弟子たちからの影響が大きかったようです。ランクはフロイト派でしたが『出産外傷説』が原因でフロイトから破門されて、アメリカにいました。ロジャーズは職場にランクを招いています。後に、「師匠は誰か?」と尋ねられて、ランクの名前をロジャーズは口にしているのです。

ランクは講演で、こう語っていたことがあります。

すべての精神分析的アプローチはセラピストを中心に回っている。真のセラピィはクライエントーその困難や欲求や活動ーを中心に回らなければならない

『カール・ロジャーズ入門』(諸富祥彦 コスモスライブラリー)p62

 いかがでしょうか。ランクは、「クライエント中心」だとすでに言っていたのです。ですので、「来談者中心療法」はロジャーズの完全オリジナルというより、他の学者たちからの考えを取り入れつつ、つくりあげていったものと言えます。

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