カール・ロジャーズ(Carl Rogers)【前編】

ロジャーズ【前編】

大農園で身につけた科学的な感覚

そんな本好きなロージャズが12歳になる1914年、ロジャーズ一家は、オークパークを離れ、シカゴから約30キロ離れた農園に引っ越しすることになります。

アメリカ農園イメージ

ロジャーズは当時の友だちから離れ、深い孤独を味わいます。ただ、この農園時代に、心理学者に求めれる資質を育む2つのことを経験します。

  1. 蛾の飼育:夜行性の蛾に魅了される。
  2. 科学的農業:父親が農園経営を科学的に行おうとした

ひとつ目の「蛾の飼育」では、生き物を観察する力を身につけました。自然豊かな農園ですので、夜になれば家の灯りに蛾が集まってきます。これにロジャーズ少年はとりこになりました。幼虫を育て、繭を見守り、成虫となる。生物の成長プロセスに興味をもつことは、カウンセラーが心の成長過程に敏感であろうとする資質に通じるものがあります。

ふたつ目の「科学的農業」とは、科学的な実験手法を学んだことです。父親は農住経営を科学的に行うと決め、科学的農業に関する本を大量に買い込み、子どもたちに読ませました。そして、鶏、子羊、子豚、子牛を子どもたちに育てさせてたのです。

ロジャーズは、子どもが読むにはとてもきつい、何百ページもある『飼料と飼育』という本も読み込みました。飼料によってどのような変化が家畜に現れるのか。実験を繰り返し、その経験から科学的方法の知識を身につけていったのです。

ロジャーズは、精神分析学と比較され下に見られていた「カウンセリング」を、科学的な心理学にしようと奮闘した人物です。幼い頃の農園時代に培った知識が、後々、役に立っていきました。

今では当たり前の「逐語記録」(クライエントとカウンセラーの会話を録音し、一語一句もらさず書き起こした記録資料)の分析・検討に力を入れたのは、ロジャーズの科学的態度の現れといえます。


大学時代、挫折と心理学の出会い。

1919年、ロジャーズはウィスコンシン大学の農学部に進学します。どうしてもウィスコンシン大学に行きたかったわけではなく、父親の出身校であり、兄弟も入学していたので、その流れにのっただけでした。ロジャーズとしては親の敷かれたレールの上を歩むような感覚だったのではないでしょうか。

現在のウィスコンシン大学
(Memorial Union and quadrangle.User vonbloompasha, owner of copyright)

大学に入ると、農学を極めて農家になる気持ちはどんどん薄れていき、宗教的なものへの関心が高まっていきます。牧師になる。そう決意します。専攻を農学から歴史に変えました。学内に宗教会議を組織するなどして、活動も本格的になっていきます。

人生のターニングポイント「世界学生キリスト会議」in中国。

大学2年生の1992年、中国北京の世界学生キリスト会議に出席。全米からたった12人の枠しない参加者に選ばれたのです。

様々な国の人たちと宗教について話し合いました。対立もあれば協調もある。排斥もあれば寛容もある。親の宗教一色に染められていたロジャーズの生き方は、多様な価値観にふれて、揺れ動くことになります。

この中国旅行は、ロジャーズにとって人生のターニングポイントになります。テーマは親からの「自立」です。ロジャーズはこう言っています。

ロジャーズ
ロジャーズ

私の視野はいやがおうにも広がりました。かなりの点で、私は両親や宗教上の考えから生まれて初めて解放され、もはや彼らに従っていくことはできないと思いました。

両親の考えから自立することによって、私と両親との関係は苦痛と緊張に満ちたものになったのですが、振り返ってみると、このとき私は独立した一人の人間になったのです。

『ロジャーズが語る自己実現の道 (ロジャーズ主要著作集)』(岩崎学術出版社)p13

この言葉から、いかに親からの教育に青年ロジャーズが縛られ苦悩していたのかがわかります。ちなみに、中国からの帰路、日本に立ち寄っています。富士山に登り、山頂から日の出をみて深く感動したそうです。

神学校で心理学に出会う。

ウィスコンシン大学を卒業したロジャーズは、1924年、ニューヨークにあるユニオン神学校の大学院に進みます。牧師になる夢を現実にするためです。

ユニオン神学校
(Gryffindor derivative work: Union_Theological_Seminary_NYC_001)
まっつん
まっつん

1924年、ウィスコンシン大学の卒業直後、ロジャーズは幼馴染のヘレンと結婚しています。生涯の伴侶となる人です。でも、ロジャーズは大学院に行くのですから「学生結婚」ですね。もちろん、厳格な両親は大反対です。ロジャーズは押し切りました。新婚生活がニューヨークで始まったのです。

妻のヘレンも神学校の聴講生となり、ふたりで知的刺激を受け続けました。ここで、ついにロジャーズは心理学と出会うのです。『真の人間になること』の著者ヘンリー・フォデックスや精神科医チャッセルなどの授業を聞き、心理学に興味を持つようになっていきます。

2年生になると、通りを挟んで向かいにあったコロンビア大学教育学部の聴講生となり、臨床心理学を学び始めます。そして、宗教に人生を捧げようと牧師になる決意をしたのに、キリスト教に懐疑的になっていくのです。

ユニオン神学校は、学生の自主性を重んじる大学でした。ある時、ロジャーズは仲間とともに「教師抜き」のゼミナールを開催したいと、大学側に過激な申し入れします。すると、この申請が通ってしまうのです。

教師という「権威」を抜きして、人それぞれが、自分の考えを持ち、自主的に動くことのほうが本来の姿なのではないか。宗教というひとつの教義にとらわれるのは、それと矛盾するのではないか。

この「教師抜きゼミナール」の経験は、ロジャーズの進む道に大きな変化を与えます。彼は、こう言っています。

ロジャーズ
ロジャーズ

このゼミがとても満足のいくものであり、問題を明確にするものであったことは言うまでもありません。(中略)私が常に関心を持っていたのは、人生の意味や、人が人生を建設的に変えていく可能性ということでした。しかし、ある特定の宗教上の教義を信じなければならないところで働くことはできないと感じたのです。

『ロジャーズが語る自己実現の道 (ロジャーズ主要著作集)』(岩崎学術出版社)p14


神学を捨て、心理学の道へ。

1926年、長男が誕生したその年、ロジャーズは、牧師になる夢を断念します。ユニオン神学校を中退し、コロンビア大学に転学したのです。専攻は臨床心理学・教育心理学でした。ロジャーズの目指す道が、心理学一本になりました。

コロンビア大学で指導を受けながら、ロジャーズはニューヨーク児童相談所のインターンとして働ことになります。相談所の奨学金(月2,500ドル)の申請が通ったのです。期間は1年間。これに関して小さな事件が起きます。

ある精神科医から手紙をがきました。手紙の内容はこうでした。月2,500ドルは精神医学専攻者に対してであり、あなた(ロジャーズ)は心理学者だから1,200ドルにする。精神医学者が上で、心理学者は下。その構図がよくわかる事件です。ロジャーズは抗議の手紙を書きます。その結果、精神医学専攻者と同じ月2,500ドルの奨学金を手にするのです。

まっつん
まっつん

ロジャーズはとても温厚な人柄です。ただ、「ここ一番」という時には、大胆不敵で過激な行動をとる人といえます。「勝負強い」というのか、一度そう決めると絶対に自分の信念を曲げない強さを感じます。でも、変わる時にはがらっと大胆に変わるのですから、「しなやかさ」ともいえます。これが「開拓者精神」(パイオニア・スピリット)かもしれません…。

農学から歴史専攻になり、親の反対を押し切り学生結婚をして、教師抜きのゼミを大学側に求め認めさせ、神学校を中退して他の大学に転学して心理学の道を歩む。思い切った行動をとってきたからこそ、心理学という天職にめぐりあったといえます。