私の生涯のうちで最もすばらしくかつ有意義な会話は、
無名の人々との会話であった。
『ユング自伝1』(ヤッフェ編 河合隼雄ほか訳 みすず書房)P210
ユングはスイスの名門バーゼル大学に学び、1900年、25歳になる年、チューリッヒ大学のブルクヘルツリ精神病院の助手となります。
当時の精神医学は、患者に病名をつけるだけで満足し、病んだ心の中で「何が起きているのか」について目を向けようとしていませんでした。このことにユングは強く疑問を抱きます。

「精神医学の教師たちは患者が言わざるをえないことに関心を払わず、その代わり診断の下し方または症状の記述の仕方や統計の集め方に関心を寄せていた」
『ユング自伝1』(みすず書房)p169
心の中を理解しようとせず、心の外にある技法にこだわっていたわけですね。そんな精神医学のあり方に疑問を抱く若きユングのもとに、ある患者が現れます。
「私はローレライだ」。
そう言葉をくりかえすバベットという名の誇大妄想をもつ女性患者です。彼女は20年間も病院にいました。なぜ、彼女は「私はローレライだ」と言い続けるのでしょう。ユングは、他の医師が無視していた疑問に全力で取り組みます。
すると、ドイツの詩人ハイネに「ローレライ」という詩があることを知ります。その詩の始まりは、「なぜかわからないが」だったのです。
謎が解けました。
バベットは医師が自分に接する度に「なぜかわからない」と言うので、「私はローレライ」だと口にしていたのです。意味不明と思われていた彼女の言葉には、隠された深い意味があったのです。

「私がバベットや他のそういった事例に熱中していくにつれ、従来我々が無意味だとみなしてきたものの多くが、そう思うほどにおかしくないものであるということが納得できるようになった」
『ユング自伝1』(みすず書房)p185
ユングは患者と会話する臨床の場を重んじました。国際精神分析学会の会長も務めていましたが、「象牙の塔」にこもることなく「心の現場」を大切にした医師でした。
理論としての精密さを求めるより(それ故、専門家から今なお批判されてますが…)患者の役に立つ実践的な知と技を重んじました。
それこそ、ユングの打ち立てた「分析心理学」の「らしさ」であり、その独自性は名もなき人々との多くの会話を通してかたちづくられたのですね。
名もなき人との会話に真理が隠されている。
名のある偉人たちの言葉に価値のあることは、もちろんですが、それと同じくらいに、実は「名もなき人の言葉」にも価値があるのです。それは、私たちの人生でも同じです。
この世界を生きる多くの人は、名もなきの人々に囲まれ人生を過ごしています。ユングが名もなき人の会話を大切にしたように、私たちも、その言葉を尊ぶことで、より豊かな学びの場をつくりだすことができるでしょう。
真理は、名もなき人の言葉に隠されています。
(文:まっつん)
