「しかし私は、私の権威を危うくすることはできないんだ!」
その瞬間に、彼は彼の権威を失ったのだ。
『ユング自伝1』(ヤッフェ編 河合隼雄ほか訳 みすず書房)P228
彼とは、近代精神分析学の開祖フロイトのことです。
ユングが32歳になる1907年、ユングはフロイトと初めて会うことになります。ユングは新進気鋭の心理学者として世に名を知られつつありました。ふたりはフロイトの家の書斎にこもり13時間にもわたって語り合います。この対談の時すでに、ユングはフロイトの無意識の考えに疑問を持ちました。ですが、フロイトの聡明さと鋭い洞察力に敬服したのも事実です。
「フロイトは、私の出会った最初の真に重要な人物であった」
そう言うユングは19歳年上のフロイトを師と仰ぐようになります。ユングにとって父親的存在でした。また、フロイトもユングに惚れこみました。
当時の精神分析学は、フロイトが活動するオーストリアはウィーンが中心地でした。中心地は時に「閉鎖的になる」というデメリットも生み出します。
フロイトは精神分析を、世界に認められる学問にすることを望んでいました。ですので、スイス出身のユングの協力は、フロイトにとって「渡りに船」だったのです。そんなフロイトの事情もありつつ、ユングはフロイトの右腕として精神分析学会をリードしていくことになります。
時は流れ、1909年、フロイトとユングはアメリカを訪れることになりました。アメリカには、まだ船で行く時代です。海の上に7週間もいることになり、ふたりは互いの夢を毎日のように分析しあいました。
ユングはフロイトの「ある夢」に関して、分析を深めたいので、プライベートにまつわる情報をもう少し教えてほしいと、フロイトに求めました。するとフロイトはこれを断り、こう言ったのです。
「しかし私は、私の権威を危うくすることはできないんだ!」
ユングは「個人的権威を真理の上位に位置づけていた」とフロイトへの懐疑心を強め「私たちの終わりがすでに予示されていた」と『ユング自伝』に書いています。
権威に執着すると権威を失墜することになる。
権威とは、その道の専門的な優れた知識や技能をもち、多くの人から信頼されている人やその状態をさします。権威とは周囲の人から結果として与えられるものであり、自ら権威そのものを求めるべきではないのです。
権威は、人を動かす力になりますね。他人を自分の思い通りに動かすことには、ちょっとした気持ちよさがともないます。その快感におぼれる人もいます。権威の媚薬に麻痺した人は、自身の専門的な能力が低下し、すでに権威者とは言えない状態になっているのに、権威にしがみつこうとします。
アメリカへの旅路、船上の夢分析で、フロイトはユングの夢を不完全にしか解釈できませんでした。ユングは、最良の分析家でも夢の謎をとけない時はある、と書いているのですが、フロイトが権威に固執したことは、ふたりの関係の終わりを予感させる出来事でした。
権威は、人を真理から遠ざける。人をも遠ざける。
「権威」には「謙虚」さが必要ですね。
(文:まっつん)
カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)