フランクルは惨劇を極めたナチスの強制収容所を生き延びた心理学者です。地獄のような場所をすぐに想像できますので、ユーモアや笑いとは、ほど遠い世界だと思ってしまいます。
ところが、彼の書いた『夜と霧』読むと、フランクルが強制収容所でも「ユーモア」「笑うこと」を大切にしていた事実を知ることができます。
フランクルは、収容所で一緒に働く仲間に提案をしています。
「私は数週間も工事場で私と一緒に働いていた一人の同僚の友人を、少しずつユーモアを言うように教え込んだ。すなわち私は彼に提案して、これからは少なくとも一日に一つ愉快な話をみつけることをお互いの義務にしようではないかと言った」
『夜と霧』(V・E・フランクル[著] 霜山徳爾[訳] みすず書房)p132
そして、普通の生活に戻れた日のことなどを思い浮かべて、収容所の監視官にされたことなどを題材にして、互いに笑いあったといいます。
ユーモアをひねり出そうとする時、心は過去、現在、未来の時空間を遊び回ります。それは辛い「今」を忘れ去ることに大きな効果を発揮します。その行為は「逃げ」ではなくて、辛い状況で「生きる力」をつくりだすための知恵だったといえます。
フランクルは、強制収容所でユーモアを大事にしたことについて、こう書いています。
ユーモアもまた自己維持のための闘いにおける心の武器である。周知のようにユーモアは通常の人間の生活におけるのと同じに、たとえ既述の如く数秒でも距離をとり、環境の上に自らを置くのに役立つのである。
『夜と霧』(V・E・フランクル[著] 霜山徳爾[訳] みすず書房)p131-132
ここでも「距離をとり」という表現が見られます。心の病に対処する心理療法としての「自己距離化」もありますが、自分の置かれた状況がとても辛い時にも、「ユーモア」「笑い」によって「距離をとる」ことが大事なのです。
「環境の上に自らを置く」というのは、強制収容所という地獄に自分がいる事実を認めつつ、それに「飲み込まれない」「落ち込まない」ということです。もし、飲み込まれたら、心は苦悩に支配されて生きる気力が奪われてしまいます。
でも、ユーモアで自分を笑い飛ばし、苦悩の上に自らを置くことができれば、心のダメージを最小限におさえることができ、悲劇の中を生きながら、悲劇を演じるような感覚が生まれてきます。
そうすれば、絶望的な状況でも心は折れることなく、希望を見出すことができるのです。
先ほどのフランクルの言葉にあった通りです。
ユーモアは心の武器
どんなに辛いことがあっても、笑い飛ばすことができたら、いいですね。
今、日本は、他罰社会と呼ばれています。人を攻撃することで自己の正当性を声高に叫び、自己満足に終始する精神がはびこっています。前後の文脈は無視して、言葉を切れ取られ、揚げ足をとられ、笑い飛ばすことが、とても難しくなっていますね。
そんな時代だからこそ、ユーモアや笑うことがますます大事です。フランクルは、「笑うことへの勇気が必要である」(『神経症 Ⅰ』みすず書房 p158)と書いています。
アドラーが「嫌われる勇気」ならば、フラクルは「笑う勇気」です。自分を笑い飛ばすことは、心に余裕のある証です。
「笑う勇気」を大いに発揮して、元気にいきましょう。
(文:まっつん)
ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl 1905〜1997)ロゴセラピーの創始者。オーストリア出身の精神科医、心理学者。世界三大心理学者(フロイト、ユング、アドラー)につぐ「第4の巨頭」。第2次世界大戦中のナチス強制収容所から生還する。その体験を記した『夜と霧』は世界的ベストラーとなる。「生きる意味」を探求するロゴセラピーという独自の心理学を確立し、世界に大きな影響を与えた。享年92歳。著書:『夜と霧』(みすず書房)『それでも人生にイエスと言う』(春秋社)『意味による癒し』(春秋社)ほか。
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ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl) 参考 フランクルの「生いたち」から、その人生心理カウンセラーまっつん(松山淳) 参考 『君が生きる意味』(ダイヤモンド社)紹介ページ心理カウンセラーまっつん(松山淳)