「こころのおはなし」はEARTHSHIP CONSULTING「コラム」に移行していきます。

ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)

「無意識」への道。

フロイトがパリで学んだシャルコーは、心理療法に「催眠」を取り入れていました。

シャルコーの講義風景
シャルコーの講義風景(inパリ)

フロイトが出席した講義の時、シャルコーは患者に催眠をかけて、ヒステリー症状を出したり消したりすることができました。みんなが見ている前で、です。

患者は催眠を解かれると、催眠をかけられていた時のことを覚えていません。催眠といっても、眠っているわけではないのです。同じ人なのに、ヒステリー状態になったりならなかったり、覚えていたり覚えていなかったり…。

すると、「人間には自分では知覚できない心の領域がある」「意識できない自分がいる」という仮説が成立します。そして、ヒステリー症状の原因は、自分では意識できない領域=「無意識」にあると考えられるわけです。

アンナ・0の症例

フロイトの経済的支援者でもあった神経科医ブロイアー(1842〜1925)に「アンナ・O」(女性 21歳)の症例があります。ブロイアーは、フロイトが開業医として独立する時に、患者を紹介してくれるなど、力を貸してくれた恩人です。

フロイトは、アンナの症例から大きなヒントを得て、ブロイアーと共同で『ヒステリー研究』を発表しています。この論文には、「心の病」を治療する手法の原型を見い出せます。近代精神分析史における重要な論考のひとつです。

ヒステリー研究
『ヒステリー研究』
(中央公論新社 )

アンナは幻覚や言語障害を伴うヒステリー症状を起こす患者でした。症状が出ると気絶することもあったのです。

普段はとても聡明な女性だったのですが…。

そんなアンナは、コップに口をつけて水を飲むことができませんでした。なぜ、なのか。アンナ自身もよくわかりません。

そこで、ブロイラーは、アンナに催眠をかけます。

催眠状態になったアンナはある場面を思い出しました。かつて、自分の嫌いな家庭教師が、コップを使ってアンナの飼い犬に水を飲ませている場面です。その時、アンナは「怒り」を感じたのに、表現できませんでした。この過去に感じた「怒り」を催眠中でぶちまけると、アンナはコップで水を飲めるようになったのです。症状は消え去りました。

いったい何が起きたのでしょう?

症状が消えた仕組みを説明するのに、「無意識」を前提条件に置くと、とてもすっきりします。自分ではわからない心の領域=「無意識」の中にアンナの「怒り」がおさえこまれていて、その「怒り」が解放されること(カタルシス)で、症状が消えたという仕組みです。

普段の自分では感じることのできない過去の心の傷(トラウマ)が癒され、できなかったことができるようになったとしたら、『症状の原因は無意識に抑え込ま(抑圧さ)れていた「怒り」である』という仮説が立証されることになります。

人の心に「無意識」のエリアが存在するのです。

その後もアンナは、喜怒哀楽をおさえることなく自由に語ることで症状が軽減していきました。「無意識」に抑え込まれた記憶や感情が「意識」され、解放されることで治療が進展していくのです。

アンナはこれを「談話療法」(トーキング・キュア)と呼んでいました。

もっとくだけた表現が許されるなら「おしゃべり療法」ですね。おしゃべりすること、話すことは、やっぱり心に効き目があるのです。

アンナ・Oの症例には、現代の心理学でも語られる代表的な考え方が詰め込まれています。

心理学のキーワード
  • 過去の記憶を無意識に閉じ込める「抑圧」
  • 精神的ショックを伴う経験でつくられる心の傷「トラウマ」
  • 鬱積された感情の解放でなされる精神的浄化「カタルシス」

フロイトは「談話療法」によって症状が軽くなっていくアンナの症例を知り、催眠を使っていた自身の治療ケースを検討していきます。そうして、催眠には頼らない「自由連想法」にたどり着くのです。

自由連想法」とは、患者が催眠状態にならず、通常の意識状態で寝椅子に横になり、自由に語ってもらうことで治療を試みる精神分析療法です。

これはフロイトが発明した手法です。

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