「死にたい」を乗り越える-フランクル心理学005-

フランクル心理学 「死にたい」を乗り越える 発見的楽観主義

成功しても人は絶望する。

自然災害で突然、愛する家族を失い、なんとも言えない「むなしさ」にとらわれ「死にたい」と考える。これは急性型の空虚感です。その「むなしさ」は消そうと思っても、なかなか消えるものではありません。

一方で、急性型に対して慢性型の空虚感もあります。理由がよくわからないのに、とにかく、むなしてく、むなしくて「死にたい」と考えてしまうケースです。

慢性型の場合、人がうらやむほどの恵まれた環境にありながらも、「生きる意味」を見い出せず「死にたい」と絶望する人もいるのが特徴です。

生きる意味に苦悩する大学生

フランクルは22歳のある大学生から手紙を受け取りました。

「ぼくは学位をもち、ぜいたくな車を所有し、金銭的にも独立しており、またぼくの力に余るほどのセックスや信望も思いのままです。ぼくにわからないのはただ、すべてのものがどのような意味をもつべきかということだけです」

『生きがい喪失の悩み』(V・E・フランクル[著] 中村友太郎[訳] 講談社)p52

フランクルが現役の医師だった当時、生きる意味の喪失感、空虚感から自ら命を断つ大学生がとても多かったのです。

大学生になれるということは、少なくとも、学費を払える恵まれた家庭環境にいることです。決して借金や不治の病で苦しんでいたわけではありません。まして、手紙を書いてきた大学生の文面を読むと、学歴はよく、お金もあり、女性に好かれ、人望まであります。どうしてこれほど恵まれていながら、「生きる意味」について悩むのか、とても不思議です。

でも、フランクルが言うように、「意味への意志」(Will to meaning)が、人間の根源的な心の働きであるならば、大学生の苦悩も納得できます。私たちが考える社会的な成功では、「生きる意味」を満たしえないことがあるのです。

「生きがい」を求めて、「生きる意味」を求めて、必死に努力して、がんばってがんばって、求めていたものを手にいれたけれど、待っていたのは苦悩であり絶望だった。

絶望する大学生のイメージ画像

それはまるで、「生きる意味」と「成功」という2つのコップはまったく別であり、成功のコップに水をどれだけ入れても、「生きる意味」のコップは決して満たされないようなものです。

生きる意味が満たされなければ、人はむなしさで苦しむことがあるのです。それは時に、「死にたい」という感情へと発展していくことがあります。

「成功のコップ」と「生きる意味のコップ」のイラスト

そこでフランクルは、むなしさを生み出す「成功と失敗」の2軸でとらえる考え方を、ホモ・サピエンス型の人生観であると定義しました。「ホモ」が人間を、「サピエンス」は「知恵」を意味しますので、ホモ・サピエンスとは、「知恵をもった賢い存在」ということです。