「一流と呼ばれる人は、なぜ、一流になりえるのだろう」
冒頭に出てきました、マズローがニューヨークに集まった一流の知識人・文化人たちとふれあって出てきた「疑問」です。
マズローからすると、彼ら彼女らは、自分の目標を達成し、健康的で理想の人生を歩んでいるように見えました。自分という存在の理想を実現している「自己実現」している人たちでした。
この「自己実現」という言葉ですが、私たちは、自分の叶えたい夢が叶った時に、「自己実現できた」なんて言い方をします。
歌手を目指していた人が、メジャーデビューできた。小説家を志していた青年が文学賞を受賞し、本を出版できた。就活して第一希望の会社に就職できた。しかも、希望していた部署に配属された。
そんな時、「自己実現できた」という表現は、決して間違いではありません。間違いではないのですが、マズローのいう「自己実現」は、もうちょっと深い意味があるものです。
つまり、「夢が叶った=自己実現」ではないのです。
マズローは、『人間性の心理学』(産業能率大学出版部)で、「自己実現」について、こう書いています。
「自分自身、最高の平穏であろうとするなら、音楽家は音楽をつくり、美術家は絵を描き、詩人は詩を書いていなければならない。人は、自分がなりうるものにならなければならない。人は自分自身の本性に忠実でなければならない。このような欲求を自己実現の欲求と呼ぶことができるであろう」
『人間性の心理学』(産業能率大学出版部)p72
ここでポイントとなるのは「本性」ですね。
「本性」とは、その人の生まれもった資質のことです。
ですので、生まれ持ったものに忠実に、自分自身を高めていき、最高の自分になることが「自己実現」した状態です。
そして人は、「より高いレベルの自己を目指そうとする高次の欲求をもっている」というのが、マズローの「自己実現欲求」ですね。夢が叶うことは、「自己実現」におけるプロセスのひとつです。
人としての理想は「どうあるべきなのか」を考えるのが「人間性心理学」です。
マズローは自己実現に成功している人を「自己実現的人間」と呼びました。
その特徴として、「現実をより有効に知覚し、それとより快適な保つこと」「受容」「自発性」「課題中心的」「超越性」「至高体験」「創造性」など…10以上をあげました。
10以上も説明すると、話しが長くなりますので、ここでは「課題中心的」と「至高体験」について、お話しします。(その他は、また別の機会に…)
「課題中心的」の項目で、自己実現している人の特徴を、マズローはこう言っています。
「人生において何らかの使命や、達成すべき任務、自分たち自身の問題ではない課題をもっていて、多くのエネルギーをそれに注いでいる。これは必ずしも彼らが好きで自ら選んだ仕事ではなく、彼らが自分の責任、義務、責務と感じている仕事であったりする。
それ故、我々は「彼らがしたいと思う仕事」という言い方をしないで、「彼らがなさねばらない仕事」という表現を用いるのである」
『人間性の心理学』(産業能率大学出版部)p239
「課題中心」の反対は、「自己中心」です。
「自分がしたい仕事」「自分の好きな仕事」にこだわり過ぎることは、自己中心的な発想になりますね。自己中心性から抜け出して、広い視野で世界を眺め「成さねばらない仕事」をしているのが、マズローの言う「自己実現」している人たちなのです。
「成さねばらない仕事」のことを「使命」と言っていいのではないでしょうか。自分の「使命」(ミッション)を果たすことに、心を動かされているのが「自己実現」している人たちです。
「至高体験」とは、時間感覚や自我意識(自分で自分を意識できている心)が消える恍惚感をともった至福の体験です。これには、もちろんレベルがあります。
仕事を成し遂げてじわりと感じる達成感。子供の寝顔を見た時に抱く穏やかな幸福感。これらも「至高体験」であれば、瞑想をしている時に、光に包まれて神の存在を確信する強烈な喜びに満たされる神秘的体験も「至高体験」です。
マズローが接した「自己実現的人間」は、そうでない人よりも「至高体験」を質の高いレベルで経験していました。その「至高体験」が人間形成に影響を及ぼしていたのです。
マズローは、『完全なる人間』(誠信書房)では、こう書いてます。
「自己実現する人間の正常な知覚や、平均人の時折の至高経験にあっては、認知はどちらかといえば、自我超越的、自己忘却的で、無我であり得るということである」
『完全なる人間』(誠信書房)p99