
フランクルにとって無意識は、創造性の源泉です。無意識の創造性を認めた点では、ユングと一緒ですね。ユングも「無意識の創造性」に着目した人です。
フランクルは、芸術家の創造性と無意識にふれて、こう書いています。

精神的無意識のなかにはエートス的無意識すなわち道徳的良心とともに、いわば美的な無意識すなわち芸術的良心も宿っている(中略)芸術的創造においても再創造においても、芸術家はやはりこの意味における無意識の精神性に依存している。
『識られざる神』(V・E・フランクル[著]、佐藤利勝[訳] みすず書房)p40
画家、写真家、小説家など、様々な芸術家たちが世界にいます。世界的に評価される芸術作品にふれると、「一体、このアイディアを、どうやって考え出したのだろう?」と、深い感動をおぼえます。
長編の小説を読み終えた時など、「これだけのストーリーは、どこから生まれてくるんだ?」と、不思議で仕方ありません。その才能の豊かさに、驚くばかりです。
天才的な芸術家たちは、凡人には理解できない何かを直感でつかまえます。理屈ではなくて、「ひらめき」ですね。フランクルは、それを「霊感」と表現しています。この「霊感」のある場所を、フランクルは「精神的無意識」と考えていたのです。
芸術家が自分らしさを失い、スランプに陥る時は、この「霊感」がうまく働かなくなっている状態ですね。
「世間にもっと評価される作品を創る」とか「もっと上手にもっと美しく音を奏でる」と欲張り、考え過ぎてしまうと、余計にうまくいかなくなることがあります。
これは、「無意識」への信頼を失い、自分のことを意識し過ぎている状態です。フランクルは、実際に、芸術家たちを立ち直らせた経験をもっています。それは「反省除去」というロゴセラピーの手法によってです。
「反省除去」は、過度の自己観察をやめるようにクライアントを諭し、芸術家たちの「霊感」を、つまり、「精神的無意識」の働きを取り戻すことです。
「反省除去」については、『スランプを克服する考え方(反省除去)』に書きましたので、参考になさってください。
フランクルは、芸術家を例にあげるので、芸術家だけがインスピレーションを持つかのように読めるのですが、私は、それに近いものを誰もが持っていると考えます。
「芸術的インスピレーション」によって創られた何かが、どのレベルで評価されるかは別として、「ひらめき」と呼ばれるものは、多くの人が経験することです。ですので、フランクルの言う「芸術的インスピレーション」は、誰にも備わっている心の力だと考えてよいと思います。
それでは、つづいて2番目の「愛」についてです。